水芭蕉を見にマクンベツ湿原に行ってみた
水芭蕉の群落が見られる場所を探していたら目についたマクンベツ湿原という所。札幌市の隣、石狩市なので行ってみることにした。
家からは車で50分程で、たまに行く温泉「番屋の湯」の近く。こんな湿原があるなんて全然知らなかった。
駐車場の案内看板
降りていくと
おおっ!確かに群生してるわ。
ちょっと時期が遅かった。大きくなり過ぎ。左下の私の指と比べてね。大きいものは葉っぱが60cmくらいある。
水芭蕉エリアを抜けると、ヨシ原。
この写真だけ見ると、アフリカのサバンナみたいに見えなくもない。
少し緑に霞んだような木(これ、ヤナギなの?)に囲まれたエリアに入って、さらに進む。
ここで行き止まり。
石狩川にこんなに近づいたのは初めて。身近な川なのに、車で橋を渡るときくらいしか見たことがなかった。運転しながらだと脇見もできず、近くで見たいな~と思っていたのだ。新緑の頃にまた来てみたいなあ。
そろそろ戻ります。
入口のところの遊歩道。舗装されてない方がいいのに。
手付かずの自然が残っている気持ちのいい所だった。車があれば1時間もかからずに来られるのがうれしい。家庭の事情で遠出はなかなかできないが、片道1時間の場所なら出掛けられる。近くでも知らない所がたくさんあるんだとつくづく思った。
案内板の地図
行者にんにく、今年初の収穫
庭の行者にんにくは、父が昔、知人の庭のを少し分けてもらったもの。何年もかけてこんなになるまで増やした。
今年初の収穫。一般にはもっと若い葉の方がおいしいと言われているが、私はある程度厚みがあって歯ごたえがあるくらいの方が好きだ。
去年も初物は偶然4月25日だったなあ。
卵と炒めた。行者にんにくで一番頻繁に作る料理。
卵には少しマヨネーズを入れ、味付けはオイスターソース。コショウを効かせて。
卵や豚肉と合うところはニラと似ているが、筋っぽくなくてサクッと噛み切れる。ウチではイカと一緒にスパゲティにすることも多い。
クロッカスが満開。
札幌の桜の開花予想は平年より3日早い4月30日。いよいよ花の季節だ。
窓辺で苗作り ② ゴーヤの芽が出た
2日に植えたゴーヤの種がひとつだけ芽を出した。
よく見ると左のポットにもちらっと芽を出しかけているのがある。
右のはこんな感じ。左のポットのようなちらっと状態からこうなるまで5日かかったよ。
このポットを作ったとき、土に水が浸透していかないのが気になったが、翌日には上の方の水分がじわじわと下に染み込んでいた。ポットが透明なのでわかりやすい。
庭の行者にんにくも連日の陽気でずいぶん伸びたし
ウドも芽を出した。
花の一番乗りはクロッカス。去年は16日にクロッカスの写真を撮っていた。よくぴったりと同じ頃に咲くものだなあ。
First Impressions Last Forever
私がリッチー・ブラックモアにはまったのが1977年。今年でちょうど40年になる。
中学生だった私には、40年後にリッチー熱がここまで冷めているとは想像もできなかった。そのくらい、当時はリッチーに狂っていた。単に現時点での熱量で計れば、今の私は彼のファンと言えるのかどうかも怪しいが、今日はリッチーの72回目の誕生日ということで、40年前のある日突然リッチーにはまった、遠い記憶を掘り起こしてみよう。
初めてディープ・パープルの曲を聴いたのは、1976年。中学2年時の学校祭だった。3年生がステージ発表で演奏した印象的なリフの曲名をロックに詳しい友達に訊くと「ディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターだよ」と教えてくれた。後日、アルバムを買ったことをその友達に張り切って報告すると「 貸して!」と言われ嬉しかったが、それを知った他のクラスの人にも次々貸してと頼まれ、しばらく戻って来なかった。テープにダビングしてたからいいんだけど。レコードが高価だった頃。貸し借りはよくしたものだ。ほどなく「バーン」と「イン・ロック」も買ったように記憶している。
「マシン・ヘッド」は中毒並みに聴いた。曲が好きなだけで、メンバー個人に対する思い入れはなかったが、聴いているうちにギタリストだけはちょっと気になり始めた。見開きジャケットにレコーディング時のスナップショットがたくさん載っていて、「この人がギタリストのリッチー・ブラックモアか」とその写真の中からリッチーを探したが、ロジャーといまいち見分けがつかなかったりして(笑)。
ディープ・パープルもリッチーも、それ以前から音楽雑誌で見知ってはいたが、みんなまだ30才前後だったのにむさくるしい風貌で、中学生の私には遠い世界の外人のおじさん達としか思えなかった。実際、ミュージシャンも30を過ぎるとけっこうな年寄り扱いをされていた時代だった。
当時、いくつものバンドのミュージック・ビデオやコンサートの映像を一度にまとめて放映するフィルムコンサートというイベントがあった。東京や大阪などでは頻繁にあったのだろうけど、札幌では年に数回だったように思う。今の若い人にはわからないだろうが、洋楽の動画をテレビで見る機会などほぼ皆無。ロックの情報は音楽雑誌と(私の場合は渋谷陽一の)ラジオ番組からしか得ていなかった。フィルムコンサートはミュージシャンの動いている姿を見られる唯一の機会だった。
パープルの映像を初めて観たのは、中3のときに友達と行ったフィルムコンサートでのこと。この頃でも、私の目当ては日本でアイドル的な人気があったキッスとかクィーンだったはず。が、会場を出る時にはリッチーのファンになっていて、完全に目がハート(死語?)だった。この時観たのが1974年のカリフォルニア・ジャムだった。
大観衆にご満悦の薄笑い ↑
それほどの期待もなく観た映像だったのだが。。。
何が良かったのか?伝説のライブと認識されているくらいだからいいのは当たり前として、当時の私が具体的に何に惹かれたのかははっきりとは覚えていない。ま、たぶんリッチーの”雰囲気”でしょう。「カリジャム観て雰囲気って。。。」と言われそうだけど、筋金入りのミーハーなので、演奏云々でないことは確かだ。普段着ている黒いベルベットのジャケットのままステージに上がったのもよかったし、風もないのにフワ~ッと揺れる薄い髪も凄味があって良かった。そして、マネキンのようにぴくりとも動かないかと思えば、ステージ上のテレビカメラにギターを叩きつけたりという振り幅の大きさと得体の知れなさに引き込まれた。
ずいぶん後になって自覚したのは、私はゴシック的な雰囲気が好きだということ。当時のリッチーはゴシック(いわゆる”ゴス”と違い、意識的に作り込んではいない)っぽかったのだ。中世・ルネサンス、心霊研究、古城好きという趣味嗜好が見た目や雰囲気に滲み出ていた。そしてこの日のリッチーが彼のイメージとして私の頭に刷り込まれてしまったのだった。
以来、髪が増えても、変な服を着ていても、アメリカを意識した曲をやるようになっても、性格が丸くなっても、おじいさんになっても、常に私の目にはカリジャムのリッチーが重なって見える。まさに、First impressions last forever。第一印象、恐るべし。
昔、部屋に貼っていたポスター。好きすぎてポスターを写真に撮った(笑)。なのに、30数年前の引っ越しで行方不明に(泣)。 著名人の写真をブログに載せるのはNGらしいけど、部屋のポスターを貼った壁を写したってことで、見逃してほしい(これだけYouTube 貼っておいて今更だけど)。
脳の勘違いを利用して幸せな気持ちになれれば
爪は普段、磨くだけ。何か塗るとしても無色透明なもの。ネイルサロンに行ったこともない。そんな私でも、自分で念入りに爪の手入れをして、ケアが後回しになりがちな踵もツルツルにすると、なんとなく幸せな気持ちになる。特に踵なんか自分でしか見ないのに不思議だな~と思っていた。
が、これって脳の勘違いなんじゃないかと、ふと思った。
爪や踵のケアをするのは(私の場合)時間や気持ちに余裕があるとき。余裕→体のケア、という経路が脳内に確立されると、逆に体のケアをしたときに「今、余裕があるんだな」と脳が判断するんじゃないかと。
「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」
アランという哲学者の名言だ。アランがどういう意味でこう言ったのかわからないが、原因(理由)と結果が逆になっているのは、やっぱりそういうことなんじゃないだろうか。最近はよく、「作り笑いでも笑顔を作った方が健康にいい」というのも耳にする。科学的にも立証されつつあるのか。
深呼吸して気持ちを落ち着かせるのも、元々は落ち着いているから呼吸が深くなるという原因と結果を逆にして利用したものだと勝手に思っている。
幸せな時や余裕がある時の気持ちを自在に再現できるようになったら、もっと心穏やかに暮らせるんだろうな~。
ふきのとうと行者にんにくが芽を出した
昨日(5日)の札幌の最高気温は15℃。3日に最高気温が今季初めて10℃を越えたばかり(中央区で10.4℃)なのに、もうこんなぽかぽか陽気。札幌に1年程住んでいたオーストラリア人が「ここでは季節がパンッ(と手を叩いて)と変わるんだね」と言っていたが、本当にそんな感じ。空気や日差しが突然「ハイッ!今日から春(夏etc.)ですよ!」と主張してくる。
今年初めてのふきのとうを発見。去年とほぼ同じ場所で、周りにはまだ雪が残っている。去年より10日ほど遅いようだ。
庭はほとんど雪が解け、行者にんにくが芽を出した。