「ロッキング・オンの時代」 / 橘川幸夫
大学生だった著者が浪人生の渋谷陽一と出会い、岩谷宏、松村雄策と共にロッキング・オンを創刊してから10年の歩み。
72年の創刊号で配本できたのが800部程度だったミニコミ誌が瞬く間にメジャー化していく過程で明らかにされる、渋谷陽一の営業力と敏腕っぷり。著者がロッキング・オンを離れてから久し振りに渋谷に会ったときも「雑誌の広告料金を値上げするじゃないか。それで渋るクライアントに、なんとかお願いしますよ、と説得する時に至上の喜びを感じるな。ひっひっひっ」と言っていたそうだ。やっぱり普通じゃないな(笑)。
橘川が関わった創刊から10年の間に4人全員が集まっての編集会議というものはなかったという話に驚いたが、”それをやればロッキング・オンは崩壊するということがわかっていたからだろう”と言われれば、それもそうだと納得する、そんな雑誌だった。
と、今も続いているのに思わず過去形にしてしまった。
私は1976年から10年ほどロッキング・オンを定期購読していた。76年当時、すでにロックファンなら知らない人はいない有名雑誌でありながら、まだ混沌として熱気のほとばしるミニコミ誌の面影を残していた。それがみるみるうちに洗練され、泥臭さがなくなるのと同時に面白さも失せていった。それでも10年も購読したのは、最後の数年は惰性で買っていたから。
著者が81年にロッキング・オンを離れたのは、ロッキング・オンのスタッフだというだけで、無条件で尊敬するようになってしまった読者の意識の変化に失望したからだという。その頃はもう、ロックと反骨精神が結びつく時代ではなくなっていたのだ。
82年の6月号、岩谷宏の「想い」-この非現実の沃野 という文章に共感し、抜粋して書き写したものが今も私の机の引き出しの中に残っている。
”好き、ということを基盤として、この現実のこの世において、なにか現実的な具体的なものごとへ展開していける、ということは絶対にない。”云々。
人の文章を書き写すなど、後にも先にもこのとき限り。別に岩谷宏のファンでも何でもなかったが、思いの外、真剣に読んでいたんだな、ロッキング・オン。