ファンという痛い生き物だった頃

先月、NHKの「ねほりんぱほりん」で”羽生結弦で人生変わった人”の話をやっていた。熱烈なファンが考えることは同じ。リッチー・ブラックモア熱という病気だった昔の自分を思い出した。

 

私は結弦ファンと違い、遠くでのコンサートに遠征する気はなかったし、一日中動画を貪れるような時代でもなかったから、大金や(具体的な)時間をリッチーに費やしたわけではない。でも頭の中からリッチーのことが離れることはなく、常に”心ここにあらず”という状態で、現実の生活から乖離したところで生きていた感じだ。

 

羽生結弦ファンの話で共感したのは、まず「彼と同時代を生きられた宇宙の采配と羽生選手の存在に感謝」というやつ(笑)。私もそう思ってたわ~。もっと言えば、私にとっての宇宙の始まりは1945年4月14日だった。「リッチーの祖先達の遺伝子がリッチー誕生に集結する準備段階として何十万年もの人類の歴史があったのだ」という痛さ。キリスト誕生以前を紀元前としてマイナスで数えるような感覚だった。ブラックモア暦というかね。書いていて恥ずかしいが、読んでいる人はほとんどいないだろうから、まあいい。

 

もうひとつ、結弦ファンの言葉に共感したのが「ひとつだけ願いが叶うなら」という問いに対する「過去に戻って赤ちゃんの時代から応援したい」というやつ。アスリートじゃないので”応援”というのは違うけど、現在地球に届く星の光がずっと昔の光なら、数十光年離れた星から望遠鏡で赤ちゃん時代のリッチーから観察したい、と思っていた。なぜかいちいち人類の歴史とか宇宙とか、話が大袈裟になっていた高校時代の私。当時はリッチーのお母さんがうらやましかったなあ。だって、生まれる前のリッチーも知っているんだから。しかし、こんなしょーもないことばっかり考えてるって、どんだけぼんやりした高校生だよ。

 

あり得ない装置の夢想といえば、”過去を見る望遠鏡”以外にもあった。雑誌のインタビューでリッチー行きつけのパブが使われ、そのお店の名前が記事の中に出ていたことがある。そのパブの場所が知りたくてたまらず(「行きたい」とは思わないのだ。リッチーとの物理的な距離を縮めたいという気持ちは皆無だったし、むしろそんな所へ行って遭遇でもしてしまったら私は崩壊すると思っていた。)どうしても地図上で場所を確認したかった。そんな場所が実在するのか確かめたかったというか。それで、ロングアイランドの住宅地図とまではいかなくても、ある程度大縮尺の地図はないものかと探したことがある。しかし、大縮尺どころか、ニューヨークの地図すら札幌では見つけられなかった。私は”どんな場所でも、道路に立った視点で周りを見渡せる装置”を夢想した。だから、ストリートビューができたときは本当に驚いた。「こ、これは私が何十年も前に熱望した装置ではないか!」と。過去を見る望遠鏡と同じくらい実現不可能だと思っていたのに。30年で世の中はそれ程までに変わるものなのだね。

 

20代の半ばには、そんな中毒状態とも言える熱狂から覚めたけど、誰かにはまっているときの気持ちは経験者としてよくわかる。羽生結弦ファンの話もいちいち頷けた。でもこういう話って、理解できない人にはドン引きされる危険があるので、相手を選ばずにうっかり話したりできないよね~。

 

今日はリッチーの74回目の誕生日(ブラックモア暦75年の新年)を祝って、昔のおバカな妄想話をしてみました。