リッチー・ブラックモアの初耳エピソード

DVD、The Ritchie Blackmore Story を観て(私にとって)初耳だったエピソードをまとめてみた。

 

① 学校卒業後、潜水艦のストロボスコープを組み立てる仕事についていた。

ヒースロー空港で働き始める前のことだ。ジェリ―・ブルーム著の「リッチー・ブラックモア伝」によると、最初の仕事はEMIレコードの工場だということだが、これは当時のガールフレンドの記憶によるものなので、彼女の記憶違いだったのかもしれない。

 

② 1967年にクリス・カーティスからラウンドアバウトに誘われた頃、クリーニング店で働いていた。

バブスという売れっ子ストリッパーとハンブルクで暮らしていた1年間の内、8カ月は彼女の「ふしだらな稼ぎに寄生して暮らしていた」と後に話している。残りの数カ月は何か仕事をしていたような含みだが、それがクリーニング店だったのか。

リッチーの周囲の人達が語る、ひとでなしとしか思えない彼の数々の言動の中でも、私が個人的に最も腹が立つものの一つがこの「ふしだらな…」発言だ。品行方正な人が言うならまだしも、オマエが言うか?と。関係者の話では、バブスは非常に心の広い女性だったらしい。当時、貧困からギターを売ることまで考えたリッチーだったが、「彼女がギターだけは絶対に売らせなかった」と昔のインタビューで語っていた。20年経っても彼女に感謝の気持ちを持っていた様子だったのに、今になってこんなことを言うとは、一体どういう心境の変化なのだろう。バブスの仕事をふしだらだという発想にアメリカ臭を感じるのは私の偏見か。人生の半分以上をアメリカで過ごしてきたのだから影響を受けるのも無理はないが、アメリカナイズされたリッチーは見たくない。ま、大きなお世話だろうね。

 

③ 「父は軍曹で…」

ヒースロー空港で働いていたお父さんの職業はなんだったのか。航空管制官という説もどこかで聞いたが、真実かどうかわからない。"Being a sergeant, "と言っているので、過去の一時的なこと(戦時中のみとか)ではなさそうだ。もし航空管制官なら、日本に自衛官航空管制官がいるように、イギリスでも軍所属の航空管制官がいる(いた?)のだろうか。それとも、ひょっとして軍曹というのは誤訳で警察の巡査部長(inspector の下)なのか? う~ん、相変わらず謎だ。

 

④ ディープ・パープルがロイヤル・アルバート・ホールでオーケストラと共演したコンサートにお父さんが来た。

喜んでいたそうだ。そりゃあ、親を満足させられる種類のコンサートだよね。それにしても、本当にお父さんの評価を気にする人だなぁ。

 

⑤ プロコル・ハルムの「青い影」

リッチーが「青い影」を聴いていると、お父さんが「歌詞に意味がない」と言うので、この曲の魅力をお父さんに説明した。

 

お父さんのエピソードが多いが、ミーハーとしてはそういうの大歓迎だ。期待していなかっただけに、プライベートな事で新情報があるのが嬉しかった。