そもそも魂は肉体に宿っているのか ~ 「ブレードランナー 2049」

本当に好きな映画は極端に少なくて、「山猫 / ヴィスコンティ」「ふたりのベロニカ /キェシロフスキ」「時計じかけのオレンジ /キューブリック」「アバウト・ア・ボーイ /ワイツ」そして「ブレードランナー」くらいしか思いつかない。だから、いつもならTSUTAYAで準新作が100円になるのを待つケチな私も「ブレードランナー 2049」は映画館まで足を運ばないわけにはいかなかった。レディース・デイの割引き適用の2Dだけどね。

 

美しく切ない映画だ。映像はレプリカントの複雑な心情に合わせるかのように情緒的だ。

新型のレプリカントであるKの任務は、潜伏して暮らす旧型のレプリカントを捜し出して処理すること。同類にも人間にも侮蔑される日々、アパートでホログラムの健気な彼女と暮らしている。Kの自問が観る者に響く。自分の心は偽物なのか?人間が言うように、自分に魂はないのか?

あるとき、30年前にレプリカントのレイチェルが密かに出産していた奇跡が明らかになる。Kは子供時代の記憶から、自分こそがレイチェルが”産んだ”子供かもしれないという希望に震える。

 

魂というものがあるとしたら、それはいつ、どこから生じるのだろうと誰しも一度は思ったことがあるのではないだろうか。私は「ひょっとしたら、この世界は私の源(魂)がRPGで遊んでいるVR(バーチャル・リアリティー)のようなもので、私の魂はずっと上の次元からこの人生をプレイしているのかもしれない」と(たぶんありふれた考え方なんだろうけど)思ったりする。だからレプリカント的な存在があるとしたら、それに魂があっても不思議ではないという気がする。

 

映画に話を戻すと、私は「ブレードランナー」が好きではあってもマニアではない。前作からの謎云々に興味はなかったし、デッカードが人間であることすら微塵も疑っていなかった。でも本作を観たらレプリカントとしか思えなかった。人間ならとても住めないような環境で30年も生き残り、あの年齢でKをボコボコに殴れるんだから。人間同様に老けたけど、どんな物でも経年劣化はあるのだ。

生殖能力がないレプリカントに子供ができるという設定は、マリアが神の子を宿したようなものだと解釈した。聖書の内容をほのめかす部分(よくわからないけど)もあったし。

 

レプリカントのキャラは前作の方が圧倒的に魅力的で、そこはちょっと残念だったけど、全体としては最後まで時間を忘れて引き込まれた。映画の途中で一度も時計を見なかったのは私にとっては稀なことだ。

気になるのは「つ・づ・く」と言わんばかりのエンディング。個人的にはもう続編はいらない、という気持ち。でも、できたらできたで(あまり期待せずに)やっぱり観に行くんだろうな。