40年前の今日の出来事

40年前の今日、1978年1月27日。中学3年生だった私はレインボーの札幌公演に行った。このコンサートでは観客が将棋倒しになり、19才の女性が亡くなった。この日のことは、亡くなった方がいるので話題にするのがはばかられ、今までほとんど人に話すことがなかったのだけれど。。。

 

私にとっては初めてのロックコンサートだった。開始と同時にみんな席を立って前へ押し寄せた。私も友達と3人で手をつないで前に行ったが、あっと言う間に後ろから押されて友達とは散り散りになった(あとで聞いた話では、一人は警備員かローディーに脇に引っ張り出されたとか)。それからしばらくはコンサートどころではなかった。人の塊に挟まれるうちに体が宙に浮いた状態になった。倒れないように踏ん張りたくても、足が床から離れているのでそれができない。胸が圧迫されて息が苦しい。「ここで死ぬのか」と思ったことは生々しく覚えている。

 

それがどのくらい続いたのだろう。客席の電気がついて演奏が止まった。床に座るように指示されてようやく地獄から抜け出せた。ステージに現れた日本人(プロモーターのウドーの人?)が、怪我人が出ていること、リッチーもこのような状態は望んでいない、というようなことを言ったような気がする。それからはずっと床に座ったまま、リッチーだけを見ていた。

 

私自身死ぬかと思ったにもかかわらず、実際に死者が出る惨事になっていたことは家に着くまで知らなかった。ニュース速報が出たそうで、心配した母が父に会場まで様子を見に行くように言い、父はコンサートをやっているのを見て来たそうだ。関係者と思われたのかノーチェックで入れたらしい。

 

直に見たリッチーの様子を次の日あたりに思い出そうとしても、なぜかほとんど覚えていなかった。私はこの半年ほど前に見たカリフォルニア・ジャムの映像でしか動いているリッチーを見たことがなかったし、これからもないだろうと思っていた。将来、ライブのビデオが発売される時代になることなど知るよしもなく(ビデオデッキ自体、すごく珍しいものだった)、すべてを自分の目に焼き付ける以外ないと、瞬きするのも惜しんで見ていたのに。きっと「あのリッチーがここにいる!」という極度の幸福感でぼーっとしてしまったのだろう。覚えているのは「顔が白い」という妙な印象だけ(あと、増毛直後で前髪が変わっていたこと・笑)。客席も明るく普通のライトがついた状態だったので、雑誌で見るステージ用の照明が当たった顔色とは違ったのだ。

 

今、書いていて急に思い出したことがある。ステージに投げ込まれた靴をリッチーが手に取って、匂いを嗅ぎ投げ返したらしい(私は見た記憶がない)。(警備員に引っ張り出されなかった方の)友達が周りの人達とその靴の取り合いになり、中敷きをゲット。その中敷きは私達3人で分けた(笑)。誰かの脱げた靴を拾って投げたんだろうけど、靴の持ち主は雪の中をどうやって帰ったんだろう?

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札幌に来たのは78年が最初で最後だったが、リッチーはレインボーとパープルでその後何度も来日した。東京なら行こうと思えば行けたのに、行かなかった。78年当時より遥かにリッチー熱が過熱していた私は、肉眼で見られる距離までリッチーに近づくのが恐かった。それどころか、リッチーから50km(50メートルではない)圏内には恐れ多くて入れないという感じ。そんなことをしたら自分が崩壊するような気がしていた。

 

私が異常な熱狂から冷めた頃には、リッチーはめったに来日しなくなっていた。そして2013年に「見るならこれが最後かも」と意を決してイギリスまで見に行った。その間、なんと35年。気の長い話だ。この40年でリッチーに対する私の想いもずいぶん変わったが、今でもこうしてリッチーのことを話題にしているのだから自分でも驚きだ。

 

40年後、もし私がまだ生きていたら、どんな風に振り返るのだろう。「ついこの間のことのような気がするよ」なんてね。恐ろしや~。