地獄で仏に出会った奇跡 ~ 前編

今週の「YOUは何しに日本へ?」(テレビ東京)で、旅行中お金を落として無一文になったメキシコ人に密着しているのを観た。帰国までの20日間をどうやって過ごすのかとスタッフも心配していると、空港でアルバイトをしている日本人(前日に食事をおごったという)が自宅に泊めてあげようと知らせに来る展開に。結果、メキシコ人の青年は日本人青年の家族に暖かく迎え入れられ、無事20日後に帰国した。彼はその日本人に出会ったことを”奇跡”だと言っていた。

 

私はこのメキシコ人に起こったことをとても他人事とは思えなかった。20年前にチェコプラハで似たような状況に陥り、私もまた奇跡的な出会いで絶体絶命のピンチをなんとか乗り切った経験があるから。

 

1997年当時、私はイギリスに長期滞在中で、イースター休暇を利用してチェコに旅行に出かけた。2週間程度の予定だったと思う。初めの数日は、行きの飛行機で知り合ったロンドン在住の台湾人大学院生メイ・リンと行動を共にした。そして彼女がウィーンに移動する別れ際。地下鉄のホームで並んでいるとき、私達の列だけ妙に人が多いな、と思った。このちょっとした違和感にもっと敏感だったらよかったのだが。。。

 

この群れが泥棒集団だったのだ。車両に乗り込んだ途端、この男達におしくらまんじゅうのように取り囲まれ、リュックごと奪われた(メイ・リンに被害は無かった)。私のリュックはバケツリレーのように泥棒達の間を運ばれて、これはもう抵抗しても無駄だと諦めるしかなかった。乗客達は騒ぎに気付かないはずはないのに、みんな見て見ぬ振り。ああ、こういう所なのか、と呆然。更に悪いことに、いつもは体に巻き付けているパスポートをこのときだけ、なぜかリュックに入れていたのだ。油断してたんだね。あ~、バカバカバカバカ!今でも自分に腹が立つ!

 

急遽、二人共次の駅で降りて駅員を探したが見つからず。ウィーン行きの飛行機の便まで時間がなかったので、メイ・リンが取りあえず手持ちの100ポンド(当時で2万円くらいかな)を貸してくれて(感謝!後にロンドンに行ったときには一晩泊めてもらったりと、お世話になった💦)そこで別れた。どこを探しても駅員がいないので、外に出て手あたり次第に「警察はどこですか?」と訊きながら歩く。ようやく警察署にたどり着いたはいいものの、入口はのっぺら~とした大きな鉄のドアでノブすら見当たらない。インターフォンを押しても英語が通じずドアを開けてくれない。暗くなってくる中、ドアをドンドンを叩いたり、しつこくインターフォンを押したりしていたら、通りがかりの男性が「どうしました?」と声をかけてくれた。

 

この人が警察署に入ってから通訳を引き受け盗難届を出すのを手伝ってくれ、クレジットカードを止めるのと日本の実家に電話をするのに電話局まで付き合ってくれ、そのうえテレフォンカードもくれた。その後一緒に私のホテル(というか、B&Bみたいな所)まで来てくれて、大家さんから工具を借りて大きいバッグに付けた鍵を壊してくれた(鍵もリュックに入っていたので)。電車賃も全部払ってくれて、もう本当に神様が遣わせてくれた天使としか思えなかった。

 

翌日、パスポートの再発行手続きに日本大使館へ行くと、私の前にもパスポートの盗難で来た人がその日だけでも数人いたそうだ。「プラハには東欧中の泥棒が集結してるんですよ」と言われる。運悪くイースター中なので通常より日数がかかり、再発行までは1週間くらいだったかな(細かくは覚えてない)。大使館では「泊まる所はありますか?お金は貸さなくても大丈夫ですか?」と訊いてくれた。当時のプラハは物価の割にホテル等の宿泊施設の料金が非常に高く、メイ・リンから借りたお金でなんとかなるのはユースホステルだけだった。ユースホステルに泊まるという前提でケチケチ過ごせばなんとかなると思い、お金は借りなくてもやっていけそうだと答えた。

 

ユースホステルにはチェックインできた。が、なんとここもイースター休業があり、2泊しかできないと言う。イースターの奴め~~っ!連休に宿泊施設を閉めるという商売っ気のなさが信じられなかったが、当時のチェコはまだまだ共産主義国っぽさが残っていて、警察とか役所の雰囲気も西側とは全然違った。ユースホステルのレセプションのお兄さんは事情を知ると気の毒がって「何も手助けできないけど、よかったらこれ使って」とテレフォンカードをくれた。たぶん使うことはないと思ったが、その気持ちがありがたかった。

 

さて、2日後からどこで寝泊まりしよう。。。中央駅のベンチで寝ることも考えたが、前に駅へ行ったとき、あっと言う間にロマの子供たちに取り囲まれたことを思い出す。「やっぱり駅で寝るのはキツいかなあ。最悪、大使館でお金借りるしかないか」と考えながらも、まず急いでやらなけなければならないことがあった。イギリスで数カ月間フラットをシェアしていたポーランド人のマルゴジャータを訪ねて数日後ワルシャワに行く約束をしていて、すでに電車のチケットも買っていたのだ。そしてその後はチェコから近い旧東ドイツの町に住むドイツ人の友人の家にも行くことになっていた。パスポートはドイツに行く日までには発行される予定だったが、ポーランドに行く日には間に合わない。トラブル発生で行けなくなったことをマルゴジャータに伝えなければならない。でも電話で事情を説明するにはもらったテレフォンカードでは足りないかもしれない。それで電話局からファックスを送ることにした。

 

当時、日本ではパソコンが普及し始めた頃(私はまだ持っていなかった)だったと思う。ファックスは一般家庭にもあった。イギリスではメールもインターネットも使っていたが、チェコではファックスを送るにも電話局まで行かなければならなかった。ちゃんとしたホテルならあったのかもしれないが、ユースホステルにはファックスの設備がなかったのだ。

 

マルゴジャータ宛の紙に「パスポートと所持金すべて盗まれてポーランドに行けなくなったこと」と「ドイツには予定どおり行けそうなので、一応こちらの事情をドイツの共通の友達に伝えてほしいこと」などを書いてファックスの列に並んだ。

 

私の番が近づいてきたが、私の前の若い女性が電話局の係員に英語で色々質問して時間がかかっている。耳に入ってきたのは「ファックスを送ると、この紙は送られて行っちゃうんですか?」という”いくらなんでも”な質問なのだけど、係員に英語が通じなくて困っている。そこで「その紙は手元に残りますよ」と後ろから口を出した。そして、ファックスの仕組みというほどのことではないが、彼女の質問に私がわかる限り答えた。こうして私の順番が回って来て、無事マルゴジャータにファックスを送ることができた。それにしても”ファックスの原稿が送られて行く”って、”筒状になった紙が透明なパイプの中をビューン!と風圧で飛ばされていく”みたいなやつ(笑)?昔のモノクロの映画かなんかで見たような気がするわ。

 

2日後から泊まる所もお金もないのにあまり切羽詰まった気持ちがなく、後で考えると不思議なほど落ち着いていた。だからこそ前に並んでいた人のお手伝い(?)をする気持ちの余裕もあったのだけれど、このことが幸運につながるとは。。。電話局でちょっと言葉を交わしたこの人が私を窮地から救ってくれた二人目の天使なのだ。

 

後編に続く。。。