アガサ・クリスティーの「終わりなき夜に生まれつく」の最後と「ボヘミアン・ラプソディー」の歌詞が似ている件

映画「ボヘミアン・ラプソディー」のチケットをネット予約し、見に行く予定の日の未明、ベッドの中でアガサ・クリスティーの「終わりなき夜に生まれつく」の原書(原題は"Endless Night")を読み終えた。最後の最後で「ボヘミアン・ラプソディー」(映画ではなく曲の方)とシンクロしていて驚いた。ちょっとネタバレあり。

 

"Endless Night" は若い男性のモノローグ。逆玉に乗り世界有数の富豪となったマイケルは、理想の家に愛する人と住むという夢を実現する。しかしその家を建てた土地にはジプシーの呪いがかけられていた。。。物語の最後、殺人を犯した直後のマイケルの言葉は

"It seems odd, doesn't it, that Greta doesn't matter at all?  And even my beautiful house doesn't matter." (奇妙じゃないか?グレタなんて、もうどうでもいいとはね。 そして僕の美しい家さえどうでもいいんだ。)これ、最後から数行の所です。

そして有名なフレーズであるらしい "In my end is my beginning" というのが引用される。直訳すれば「終わりの中に始まりがある」で、調べてみると人生の循環を意味するとかなんとか。よくわからないけど。

 

殺人を犯した人が " does't matter "と語る(正確には小説の中でも紙に書いている)。ボヘミアン・ラプソディーの歌詞と同じじゃないか!と、その日映画を見に行く予定だったこともあって偶然の一致にびっくりしたというわけ。歌詞では "Nothing really matters" だけど、同じようなもの。しかも、方やボヘミアン、方やジプシー(ボヘミアンにはジプシーの意味もある)。そしてボヘミアン・ラプソディーの方は最後が "Anyway the wind blows" 。「それでも風は吹く」というのは「ちっぽけな個人の人生に何が起きようと、世界は周り続ける」という意味に受け取れる。フレディーが作ったフレーズではなさそう。人生を俯瞰したイメージのフレーズで締めるというのも、なんか似てない?

 

悪い意味で人生が激変したり、何か悲劇的な出来事に見舞われたとき、自分の世界が崩壊しようと他の人達にとっての世界は変わらないのだと感じるのは珍しくもないし、犯罪を犯して人生終わったと思っている人なら「すべてどうでもいい」という心境になるのは理解できる。でも、それにしてもエンディングが似すぎてると思うんだよなあ。ただ、この日に「ボヘミアン・ラプソディー」を見に行く予定でなければ気が付かなかったかも。

 

"Endess Night" の内容に関しては、心理描写は楽しめたものの、ミステリーとしてはイマイチかなと思った。読者を騙す、いわゆる”信頼できない語り手”というやつは好きになれない。「あれもこれも嘘でした」では読んだ意味がなくて虚しい。映画やドラマなら効果的だと思って調べたら、1972年に映画化されていた。グレタ役はブリット・エクランド。女優としては全然知らないけど、昔ミュージック・ライフかなんかのグラビアでロッド・スチュアートと一緒に写ってるのを見た記憶がある。

 

英文の難易度としては、ストーリーに複雑なトリックがあるわけでもないので読みやすい方だと思う。私はたまに知らない単語があったけど、意味が推測できたり、推測できなくても話の理解に支障があるとは思えなかったから辞書は使わなかった。田舎の人やジプシーの話し言葉は文法も標準とは違っている。でも意味はわかる。あとは、やたらと仮定法が多いという印象。"I could never have hated Ellie.(添い遂げたとしても)エリーを憎むことはできなかっただろう。" みたいに、主節だけの仮定法がすごく多い。日本語にするとくどくなるこういう表現、英語だとあっさり言えて便利だと、今さらながら。

 

Endless Night

Endless Night

 

 

終りなき夜に生れつく(クリスティー文庫)

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