トリートメント in コンディショナーって何?
「サライ」3月号の金田一秀穂のエッセイにこんなようなことが書いてあった。
実態がそんなに差がないのに次々と名前が変わる。同じものを指すのだが、名前を変えて新しさを演出する。例えば、リンスインシャンプー。
以下引用 ”それでいいのなら、最初からひとつでよかったではないか。なんなのだと、半分腹を立てていたら、今度は、もっと大変な変化が起きていた。リンスが名前を変えて、トリートメントやらコンディショナーやらになっている。何度か聞いたが、その違いがいまだにわからない。近い将来、コンディショナーアンドトリートメントインシャンプー、とか言うのが出現するに違いない。”
「トリートメントとコンディショナーの違いは何度か聞いたけど覚えられないよ。大体、その二つを使い分けてる人なんているの?」と私も思ってた。そして昨日、コンディショナー(だと思っていた物)をボトルに詰め替えていたときのこと。ん?
トリートメント in コンディショナー? すでにこういうものが存在するんだ。。。
金田一先生の予言の上をいく、不思議なネーミング。現実はときにジョークを越える。
そういえば、こんなCDあったなあ
CDケースを整理していたら、「あ~、こんなのあったなあ」というのが出て来た。
- アーティスト: Giorgio Mainerio,Giovanni Priuli,Pietro Lappi,Thomas Morley,Tielman Susato,David Munrow,Early Music Consort of London,Morley Consort
- 出版社/メーカー: Testament UK
- 発売日: 1996/05/10
- メディア: CD
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Blackmore's Night の Shadow of The Moon に収録されている、The Clock Ticks On とRenaissance Faire の元になった Susato の曲が入っているので買ったCDだ。デイヴィッド・マンロウ率いるロンドン古楽コンソートの演奏。
これを買った後の2001年に出た Fires at Midnight に収録の Crowning of The King の原曲も入っていることに、今聴き返してみて気がついた。
1. La Mourisque ( Crowning of The King )
2. Branle quatre branles ( The Clock Ticks On )
7. Basse danse Bergeret sans roch & Reprise ( Renaissance Faire )
この内2曲は YouTube にあった。
Branle quatre branles もYouTube にあるが、違う音源のしか見つけられなかった。
この3曲はB.N.の曲の中で数少ない好きな曲。特にキャンディスの歌が入るまでのスザートの部分ね💦 リッチーはスザートの曲の中でもキャッチーなのを選んでいる。1.と7.は、ほぼ原曲どおりって感じだが、2.はThe Clock Ticks On のバージョンの方が私は好きだ。
スザート以外のも通して聴いてみたところ、変化に乏しくワンパターンという印象。私はクラシックに詳しくないが、スザートからバッハまでのおよそ200年で音楽が格段に豊かになったのは明らかだ。
これからの200年で多くの人を魅了する革新的な音楽は出てくるだろうか。音楽というものにまだ伸びしろは残っているのだろうか。ふと、そんなことを思ったりした。
夏の香りの紅茶
7日の夜になって雪が降り始めた。
私は雪景色が好きで、春を待ちわびる気持ちは特にないこともあって、北海道の3月は憂鬱な月だ。黒く汚れた雪山にビシャビシャの道路。なぜか真冬より寒く感じる風。緑もなく中途半端な季節だ。宝くじが当たったら、3月、4月は南半球のニュージーランドあたりで暮らすのだ。
それはさておき、おととい、NHKの「グレーテルのかまど」で春の花、スミレの花の砂糖漬け(クリスタリゼ)を紹介していた(見たのは途中まで)。フランスの産地での作り方は、まずスミレの花をアカシア(だったか?)の蜜でコーティングして、それから砂糖にまぶして乾燥させ、更にシロップに漬けるという手順だったような気がする(うろ覚え)。
自分でクリスタリゼを作るとき、卵白の代わりにシロップとか使えないものかと思っていたんだけど、アカシアの蜜ってどういう物なんだろう?ハチミツとは違うのかな?
卵白を使うと砂糖が薄く付かないんだよなあ(特にラベンダー)。今年は卵白なしのやり方を試してみるか。
7月に作ったラベンダーのクリスタリゼを紅茶に入れた。保管していた容器を開けると、閉じ込められていた強い香りが瞬時に広がる。紅茶はほんのり甘味のある夏の香りになった。
ちらし寿司に桃色の彩り
5月に作った桜の塩漬け。
写真ではわかりにくいけど、塩が綺麗なピンク色に染まっている。その分、桜の色が抜けたってことだね。
昨夜、ひな祭りの夕食に作ったちらし寿司に桃色の彩りとして加えた。
ゴテゴテ乗せすぎか💦
スパークリングワインにはハマナスの花のクリスタリゼを浮かべた。ワインが薔薇の香りになる。安いワインならこんな楽しみ方も。
面倒な事はさっさと片付けよう
20日、確定申告に行って来た。例年は3月の初め頃までぐずぐずしている。2月中に済ませるのは初めてだ。
税務署の前でちらっと見たところ駐車場待ちの車が10台ほど並んでいた。まっすぐ臨時駐車場に行くと、待たずに入れた。税務署内も大混雑というほどではない。番号カードをもらうとすぐ呼ばれ、書類をファイルに入れて準備する。この時期だとこんなにスイスイ進むのか。
次の作業、コンピューター入力の順番待ちで座っていたら、隣の60代くらいの女性が話しかけてきた。駐車場に入るだけでも長時間待たされて、くたくただ、と。去年まではご主人が確定申告をしていたので初めてなんだそうだ。番号がひとつ進むたびに「ああ、やっと一人進んだ~」「早くして~」と、やきもきしている。
それで「いつもは3月に来るんですけど、駐車場ももっと混んでますし、この部屋に入る前のホールでも行列で、まずそこで並ぶんですよ」と、これでもましだと説明したつもりだった。その女性は「はぁ、お腹空いた。。。」と飴をくれた。そして「もう、嫌だぁ。来年は3月に来ようかなぁ。。。」
あの~、私が今言ったこと、聞いてましたぁ(笑)?
税務署の混雑具合を2月と3月で比べると、確定申告は早めに済ませた方がいいと実感した。子供だけでなく大人も(仕事以外だと?)面倒なことは後回しにする人が多い傾向は変わらないんだなあ。
数年前に e-Taxにしようかと思ったけど、ICカードリーダライタという物を買わなければならない。しかも、エラーなしで進めることはまずないというネット情報もある。自宅で悪戦苦闘するより、こういうことに疎い私は税務署で係の人に教えてもらえる方がいい。でも今のやり方も近い将来廃止されて、全部 e-Taxになっちゃうのかもね。
「The Girl on the Train」 / Paula Hawkins
図書館で予約していた和訳(ガール・オン・ザ・トレイン)がなかなか回って来ないので痺れを切らし、同じく図書館にあった原書で読んだ。シンプルで読みやすい英語。
アルコール依存症で夫に去られ、仕事も首になったレイチェルは、毎日電車でロンドンに通い、通勤を装っている。かつて幸せに暮らしていた線路沿いの家には、今も元夫が新しい妻(アナ)と赤ちゃんと一緒に住んでいる。
その数軒隣に最近越してきた若い夫婦(メガンとスコット)をレイチェルは理想のカップルとして偶像視し、毎日電車の窓から観察するようになる。ある日、メガンがスコット以外の男性と裏庭で親し気にしている様子を目撃し、レイチェルは衝撃を受ける。翌日、メガンは失踪する。
レイチェルは疑いをかけられているであろうスコットを救おうと、目撃情報を警察に話す。しかし、元夫を忘れられずにストーカーまがいの行為をしていたことなどが警察に知られ、まともに取り合ってもらえない。居ても立ってもいられず、動き始めるレイチェル。そして自らを危険な状況に追い込んでいく。
レイチェル、メガン、アナ、それぞれの視点から日記調の独白で進むストーリーだが、三人共精神状態が普通ではない。そしてレイチェルの行動があまりにも軽率で、いろんな事に首を突っ込みすぎ。全く共感できないが、犯人が誰なのか気になるので読み続けた。この犯人みたいな性癖の人って(程度の差こそあれ)意外といるのかもしれない。そしてこんな事件でも起こさないかぎり、普通に一生を終えるんだろうな。
犯人が判明した後のページ数が妙に多いから、まだ何かあるのかなと思ってたら、最後の最後にエグい事実が。怖いよぉぉぉ。こういうの苦手。
最近映画が日本でも公開された。映画評を読むと、小説より見せ方が面白いかもと思う。でもなんで舞台をアメリカに変えなきゃならない?それなのにレイチェル役はイギリス人俳優のエミリー・ブラントだし。イギリスが舞台なら観たかも。でも最後のシーンを映像で観るのはキツいわ。
個人的に「おっ!」と思ったのは、この話が始まるのが2013年7月5日で、レイチェルが地元とロンドンのユーストン駅を電車で往復していること。私が2013年の6月末から7月にかけてロンドンに行ったとき、ユーストン駅のわりと近くに宿泊した。地下鉄で何度かこの駅から乗り降りしたし、電車でも6月25日にこの駅からスコットランドに行ったんだよなぁ。フィクションだけど「その頃の話かぁ 」と思いながら読んだ。
「お母さん」なんて呼ばれたくない
昨日(17日)の「徹子の部屋」で、ショックな出来事としてはるな愛が話していた。
21才年下の彼氏とロンドンのホテルに泊まったときのこと。そこの日本人スタッフに何度も「お母さま」と呼ばれたという。はるな愛はショックだと言いながらも面白おかしく話していたが。そのスタッフも親しみを込めたつもりなのだろう。でも誰に対しても「お客様」で済むことだろうに。
はるな愛の場合は親子だと思われて「お母さま」と呼ばれたわけだけど、最近テレビでは子供の有無にかかわらず、ある一定の年齢より上の他人を「お母さん」「お父さん」と呼ぶのをよく耳にする。芸能人などが田舎で会った人とかお店の人に「お母さんは~なんですか?」みたいに話しかけている。
そういう場面を見るたびに「この人、子供がいないかもしれないのに」と思ってしまう。例えば私がいきなり「お母さん」なんて話しかけられたら、違和感がハンパないと思うのだ。でも、そういう呼び方はやめてほしいとは言いにくい。やんわりと「私は子供がいないので、お母さんじゃないんですよ」と言ったらどうだろう。それでも小うるさくて大人気ない気もするし、言った人に気まずい思いをさせてしまいそうだ。温かみのあるいい言葉だと思って善意で使っているようなので指摘しにくいと思う。
そもそも日本語では英語の「YOU」に相当する言葉がないから不便なのだ。余程年下でない限り、知らない人に「あなた」では失礼だし。結局、「あなた」という言葉を避けて会話することになる。これが結構面倒だ。
昔は知らない人に平気で「おばあちゃん」などと言っていたことを考えれば、「お母さん」は「おばさん」「おばあさん」に代わる失礼のない言い方として広がったのかもしれない。でも「おばさん」や「おばあさん」が単に女性を年齢分けした呼び方なのに対し「お母さん」はやっぱり”子供がいる人”というイメージだ。一般にはもうそういう感覚はないのだろうか。私なら「おばさん」と呼ばれた方が抵抗ないだろう。「お母さん」は勘弁してほしい。
子供のいない「おばさん」世代の女性に訊いてみたい。もし他人に「お母さん」と呼ばれたら、どんな気持ちがしますか、と。