強烈なラベンダーの香り ~ 富良野ラベンダーティー(ポッカサッポロ)
庭のラベンダーは毎年少量をクリスタリゼにする。これを紅茶や炭酸水に浮かべる他に、クッキーか何かに使えないかと思い、紅茶に浮かべた後で溶けかけた砂糖のついたクリスタリゼを試しに口に含んでみた。すると、一年前の花なのに頭が痛くなる程の強い香りが。これは食べ物に入れるのはきついかな~と断念した。ラベンダーって強烈なのだ。
近所のスーパーで、ラベンダーで香り付けをした緑茶を発見。ペットボトルのお茶で花の香りのものって比較的珍しい気がして買ってみた。
https://www.pokkasapporo-fb.jp/lavender/
説明書きには「北海道富良野産ラベンダーがほのかに香る」とあるんだけど、「ほのか」というより「圧倒的に」ラベンダー。緑茶の青臭さと合わさるせいか、知らずに飲んだら漢方かと思うかも。
飲みやすくはないけど、脂っこい物や匂いの強い食べ物の後だと口の中がすっきりしそう。はっきりとラベンダーの香りがするお茶に興味のある方は試してみては?よく冷やすことをお勧めします。
北菓楼札幌本館に行ってきた
砂川市に本店がある北菓楼が北海道立文書館別館を買い取り、札幌本館として再利用することが公にされたときから是非行ってみたいと思い、オープンを心待ちにしていた。それが、ぐずぐずしているうちにオープンからすでに1年以上も経ってしまった。
北一条通りに面していて、中央警察署の隣り。目立つ建物で、昔から気にはなっていた。まさかお菓子屋さんになって中に入れるようになるとは。
1926年に北海道庁立図書館として建てられたもので、内部は安藤忠雄の基本デザインで改修・保存されたそうだ。
2階のカフェへの階段。この下にある螺旋部分の入口が薄暗くて、一瞬立ち入り禁止区域かと思った。ヨーロッパの教会の塔の階段入口みたいな雰囲気。
保存された南側のレンガ壁。
東側と西側の壁の本は自由に閲覧できる。元が図書館だったことへのオマージュになっていて素敵。北海道関連の本や北海道出身の作家(や有名人)の著作、お菓子やパンの本などが中心となっている。こんなのを読んでたら、いつまでも長居してしまいそう。
私が行ったのは3時頃だったので空いていた。ランチの時間帯は混んでいるらしい。注文したのは、夕張メロン・アイスクリーム。
なんと、270円(税込)という安さ。砂川の本店でケーキセットを食べたことがあるけど、それも飲み物が付いて617円(税込)と激安だった(札幌本館では750円)。
↑ 砂川本店でのケーキセット(2年前)
よくこんな値段でやっていけるなあ(私ももう少し高いものを頼めば?って話だよね💦)。
その上、会計のときにこんなお菓子までくれた。
家に帰ってから食べた。ごちそうさまでした!
今日は時間がなかったけど、今度来たら本も開いてゆっくりしたいな。
アスパラを食べた後、トイレで。。。
トイレに行って「あ、さっきアスパラ食べたんだった。」と思うことがありますか?
ウチは家族全員、アスパラを食べた後の尿の臭いを感知できるタイプなので、そんなのは当たり前だと思っていた。だから、これが一部の人に限られると知ったときは驚いた。
「アスパラを食べた後の尿が臭うのは一部の人」という説が、近年になって「臭いは全員するが、それを感知できる人が遺伝的に限られている」と考えられるようになり、さらに「一部の人が臭いに出て、さらにその一部が感知できる」とか、いろんな説が出ているようで。。。
ていうか、そんなに検証するの難しいか~?ある程度の人数にアスパラを食べてもらって、尿にその臭いの成分があるか調べ、それを何人が感知できるか調べればいいだけじゃないの?実験する意味もないほど、どうでもいいことなのかな💦 私は気になるんだけど。
というのも、今年から突然、アスパラ臭を感じなくなったから。
家庭菜園で毎日少しずつアスパラが採れる。株も古いし肥料もやらずに放ったらかしなのでほんの少しだけど。この季節は食後、トイレで尿の臭いに「うっ!」ってなるのが普通だったのに、今年はそれがない。なぜなんだ?肥料に硫黄が含まれていないと臭わないとも聞いたけど、今年から急にって。
これまでは、例えば市販のお弁当に入っていた、干からびたような2センチ程度の細~いかけらを食べたことを忘れていても、必ず後で思い出すことになったのに。嗅覚が鈍くなったのか、庭のアスパラが肥料不足なのか。不思議でたまらないよ~。
窓辺で苗作り ⑤ 外に植えつけたゴーヤが死にそう
カメラを修理に出している9日間の間に、庭の様子もずいぶん変わった。
ブルーベリーの花が咲き
つつじが満開
左下は行者にんにく。花がついている。
この一カ月間、毎日のように食べた。昨日も若い葉を選んで食べてみたけど、さすがにもう堅かったなあ。
こうして見ると、行者にんにくもなかなか可愛い。
もみじも若葉が綺麗。
舞鶴草
室内で種から育てていたゴーヤは5株を1週間前に外に植えつけたが、悪天候が続いたせいか元気がない。
一番いいのでこれ。風除けを外したところ。
これはもう枯れちゃいそう。これから数日も予報では雨続きなので、ちょっと心配。
ミントと青シソは苗を買って植えた。ちゃんと根付いたようだ。
父はトマト(大、小)の苗をたくさん買った。
一方、室内の窓辺で種から育てているミニトマトとバジルは。。。
増やしすぎ💦
買ったトマトの苗のポットを再利用して植え替えたミニトマト。(小)はけっこう大きくなってきてるけど、(中)の方は全然ダメ。
バジルはもう少し大きくなったら庭に移す予定。
「ロッキング・オンの時代」 / 橘川幸夫
大学生だった著者が浪人生の渋谷陽一と出会い、岩谷宏、松村雄策と共にロッキング・オンを創刊してから10年の歩み。
72年の創刊号で配本できたのが800部程度だったミニコミ誌が瞬く間にメジャー化していく過程で明らかにされる、渋谷陽一の営業力と敏腕っぷり。著者がロッキング・オンを離れてから久し振りに渋谷に会ったときも「雑誌の広告料金を値上げするじゃないか。それで渋るクライアントに、なんとかお願いしますよ、と説得する時に至上の喜びを感じるな。ひっひっひっ」と言っていたそうだ。やっぱり普通じゃないな(笑)。
橘川が関わった創刊から10年の間に4人全員が集まっての編集会議というものはなかったという話に驚いたが、”それをやればロッキング・オンは崩壊するということがわかっていたからだろう”と言われれば、それもそうだと納得する、そんな雑誌だった。
と、今も続いているのに思わず過去形にしてしまった。
私は1976年から10年ほどロッキング・オンを定期購読していた。76年当時、すでにロックファンなら知らない人はいない有名雑誌でありながら、まだ混沌として熱気のほとばしるミニコミ誌の面影を残していた。それがみるみるうちに洗練され、泥臭さがなくなるのと同時に面白さも失せていった。それでも10年も購読したのは、最後の数年は惰性で買っていたから。
著者が81年にロッキング・オンを離れたのは、ロッキング・オンのスタッフだというだけで、無条件で尊敬するようになってしまった読者の意識の変化に失望したからだという。その頃はもう、ロックと反骨精神が結びつく時代ではなくなっていたのだ。
82年の6月号、岩谷宏の「想い」-この非現実の沃野 という文章に共感し、抜粋して書き写したものが今も私の机の引き出しの中に残っている。
”好き、ということを基盤として、この現実のこの世において、なにか現実的な具体的なものごとへ展開していける、ということは絶対にない。”云々。
人の文章を書き写すなど、後にも先にもこのとき限り。別に岩谷宏のファンでも何でもなかったが、思いの外、真剣に読んでいたんだな、ロッキング・オン。
「わたしはこうして執事になった」 / ロジーナ・ハリソン
アスター子爵夫人付きメイドとして仕えた35年の日々を記した「おだまり、ローズ」の著者、ロジーナ・ハリソンが5人の男性使用人仲間の経験談を聞き書きした、お屋敷奉公人の世界、第二弾。田舎の労働者階級の少年が雑用係などの下働きから(途中で転職した一人を除き)どうやって執事になったのか。裏話満載で、ドラマ「ダウントン・アビー」や映画「ゴスフォード・パーク」が好きな人にもお勧めだ。(イギリスでの出版は1976年)
お屋敷のスタッフは会社のようなひとつの組織。それがうまく回るか否かはキャプテンである執事にかかっている。雇い主が使用人に依存するようになるというのもわかる気がする。チャールズ・ディーンはニューヨークで顔見知りの花屋に「あなたがお仕えしている奥様方は、旦那様はしょっちゅう替えるけど、執事は絶対に替えないのね」と言われたそうだ。
アスター家に51年間仕え、クリブデンのリー卿と呼ばれた伝説の名執事エドウィン・リーをはじめとして、名家やイギリス大使館で仕事をした人達の話だけあって、どのエピソードも面白い。
例えば、戦時中チャーチル首相の週末の館が空爆にさらされる恐れがあるときは、ジョージ・ワシントンが仕えていたディッチリー・パークに司令部を移すのが日常になっていたそうだ。すべて極秘で、警護の兵士も窓に目張りをしたバスに乗せられて、どこに来たのかわからないようにしていたという。
苦労話の中で印象的だったのは、狐狩り用の赤い上着の洗濯の話だ(ジョージ・ワシントン談)。これはとびきり高価なのにもかかわらず、一度着ただけで泥はねだらけになったりする。普通に洗うと生地が黒ずんでしまうので赤い染料で色を戻すのだが、乾いたときにまだら模様になっていやしないかと気になって、夜中に起き出して様子を見に行ったりしたという。たかが洗濯でなんという苦労!
王室(特にエリザベス皇太后)ファンのピーター・ホワイトリーが、1953年にバッキンガム宮殿の子供部屋付き下男の募集に応募し面接を受けた話も面白かった。出された昼食が最低だったとか。ウィンザー城に招かれた主人のお供で1週間滞在したときも、使用人の部屋のレベルは低かったようだ。
ホワイトリーの時代にはすでに二度の大戦を経験し、大勢の使用人を抱える屋敷の運営は困難な時代になっている。ロジーナ曰く「カントリー・ハウスでの活気に満ちた生活も、その格式と洗練とともに失われました。一部の建物は美術館として残ってはいるものの、どれも霊廟のように生気が感じられない抜け殻ばかり」
現在、アスター家のお屋敷クリブデンはホテルになっている。たとえ霊廟でも(ホテルだから、そこまで抜け殻感はないだろう)見てみたいものだ。いつの日か泊まることができるとしたら、「おだまり、ローズ」とこの本をもう一度読み返してから行こう。