やっぱり甘くない、ヒースロー空港の入国審査

アメリカの入国禁止問題、ひどいよなあ。それとは別だけど、難民なんかはどこの国でも入国は至難の業だろうし、気の毒としか言いようがない。たまたまその国に生まれたばっかりに戦闘から逃げ回らなければならず、どこへ行っても受け入れられる保証はないなんて。。。

 

そんな悲惨な状況とは比べものにならないレベルの話だけど。。。

昔からヒースロー空港の入国審査が厳しいのはよく知られている。私がイギリスに語学留学した1980年代は、語学学校に行くのでも観光ビザで入国が可能だった。そして期限が近づくと一旦国外に出て入国し直す学生が多かった。でもヒースローだと厳しいので、船で地方の港から入るとか、工夫する人もいた。

 

私は語学学校の夏休みにギリシャとトルコを旅行し、呑気にヒースローから入ろうとしたら、入国審査で止められて別室に連れていかれた。もう30年も前のことではっきりとは覚えていないが、かなり待たされたと思う。その間に学校に連絡が行き、授業料を前払いしていたのと、たぶん学校側で擁護してくれたのだろう、ようやく入国が許可された。同じ学校でクラスは違ったが、入国拒否されて強制送還された日本人の女の子もいた。

 

その後、クリスマス休暇に友達とスペインに行き、ヨーク(だったかな?)の空港から入国したら、あっさり入れたが与えられた滞在期限は1カ月か2カ月で(記憶が曖昧)、その期間内にクロイドンの入国管理局へ行くように指示された。

 

入国管理局では朝イチで並んだが、いつ呼ばれるのか見当もつかず不安なまま待ち続けた。待合で話した人に「ずいぶん待ってるの?」と訊かれ「もう7時間も。。。あなたは?」と言うと「3日」。目眩がした。そこで待っていた人達の中に私のような立場の人は見当たらず、ほとんどはすでにイギリスに住んでいる移民らしかった。大変なんだなあ、と思ったものだ。

 

幸い、私はぎりぎりその日のうちにビザは延長してもらえたものの、期間はたったの1カ月。もっとイギリスに居たかったけど、泣く泣く帰国した。

 

でもその数年後、母と二人で旅行したときは入国審査官もにこやかで、すんなりと入国でき、更にその次にイギリスに行ったときは就労ビザを持っていたので、数回出入りを繰り返しても、もちろん”ノー質問”、”ノーストレス”だった。それで、留学時のヒースローでの苦い経験をすっかり忘れていた。

 

2013年に久し振りにイギリスに行った。入国審査のことは大して気に留めていなかった。たった2週間の滞在だし、宿の予約も取ってあり、もちろん帰りの航空券もある。それにもう50代だ。この年の日本人女性が不法就労目的でイギリスに入国しようとしていると思われるはずがない、と。

 

しかし甘かった。「観光で来た」と言うと、「一人で!?」と審査官に素っ頓狂な声を上げられ(そんなに珍しくはないだろうよ!)、訪れる場所、移動の交通手段など、根掘り葉掘りネチネチネチネチ、疑いの目で睨まれながら尋問され、不愉快極まりなかった。一体何を疑って、どんな人物の入国を阻止しようとしているんだろう。

 

既婚の友達は数カ月の滞在で行ったときも全然問題なかったと言ってたから、もしかしたら”独身で一人旅”というのがネックになっていたのか?イギリスで結婚相手を見つけて定住しようともくろんでると疑われてた?この年で?まさかね(笑)。

 

ただ、「観光」と答えたのはまずかったと後で思った。「コンサートのために来た」と具体的に言った方がよかったんだ、きっと。あと「入国審査では愛想良くしてた方がいい」とよく聞くけど、関係ないと思う。その程度のことは影響しないだろう。

 

でもこんな仕打ちを受けるのも、エコノミークラスで来て、どう見てもお金持ちには見えなかったからというのもあるんだろうな。しかも長時間のフライトだからと楽でラフな格好してたし。今度行く機会があったら、少しでも高そうに見える服装で飛行機に乗ることにするよ。

 

まあ、こんな嫌な目にあってもまだイギリスに行きたいと思ってるんだから、相当な方思いだよね。。。

 

※ 2018年11月2日 追記

昨日(11月1日)の新聞に「英国の空港出入国の際、自動審査ゲートが利用できるようになる」という記事が!パスポートを機会にかざし、顔認証技術で本人確認。審査官による対面審査はなくなるという。じゃあ、あのしつこい尋問は単に本人確認のためだったってこと?対象は日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの五カ国の国民で、2019年の夏までに実施だって。すぐじゃん!びっくりだわ。

リッチーのインタビュー Over Melbourne (1976年)

何度も繰り返し聞いたと前に書いたリッチー・ブラックモアの40年前のインタビューCD(ブートです💦)。 


その内容がYouTubeにあった。


Ritchie Blackmore Interview on Melbourne Radio November 21 1976

 

訳は1995年の「Burrn!」誌別冊の「炎」という雑誌に所々省略されながらも一応載っている。

改めて「炎」の訳を見ると、ちょこちょこ変な所がある。私も全部聞き取れているわけではないが、気になる部分を何か所か挙げておこうと思う。

 

2:18 辺り 「炎」p.193上段

”それで今使っているトレモロ・アームの説明もつくのさ。”

.... acounts for the bad way that I play at the moment  に聞こえる

→ ”それで今の下手な弾き方の説明もつく” 

 

3:27  「炎」p.193下段

”短い時間しかやらない。”

it's shock tactics

→ ”ショック戦法だよ”

 

7:43  「炎」p.195上段

”ショーン・ペテンジングを心に浮かべて書いた曲だ。”

Man on the Silver Mountain was written with Sherpa Tenzing in mind.

→ ”シェルパのテンジン(・ノルゲイ)をイメージして書いた曲だ。” 

ていうか、ショーン・ペテンジングって誰(笑)? もっとも、ここは私も何度も聞き返し、調べもして、やっとわかった部分。”ショーパテンズィン”って聞こえるんだよね。”シェルパ”を"Sherpa"と綴ることも、テンジンも知らなかったし。固有名詞は(固有名詞だと気がつけばまだいいが)知らなかったらそれまでで、何度聞いてもわかるわけがない。

 

固有名詞といえば、この部分の最後に" Man on the Silver Mountain was written around Cadbury's chocolate bars basically." → ”マン・オン・ザ・シルバー・マウンテンは基本的にはキャドバリーのチョコレート・バーについて書いてるんだ。”と、面白くもないジョークを言っている(「炎」では省略されている)。Cadbury('s)自体は知ってたが「キャッブリッ(ジ)」と聞こえる音とつながらず、何のチョコレート・バーなのかずっと謎だった。ある時、イギリス人が雑談中に全く同じ言い方で「キャッブリッジ・チョッコリット・バー」と言った(ように聞こえた)。それで「えっ!?ナニナニッ!?今、何のチョコレートって言ったの!?」と聞き返してやっと判明したのだ。すっきりしたけど、わかってみればどーでもいいことだ。そのイギリス人はそんな所で急にガバッと身を乗り出して必死の形相で聞き返してくる私を相当変な奴だと思ったことだろう。 

 

12:15  「炎」p.197上段

”彼の首が落とされる裁判の時の裁判官の一人に手渡されたものだろう。何にしてもヘンリー8世の裁判に関わった誰かによって作られたんだ。”

Or it was written by one of his court jesters, and his head was cut off.  And he took the writing royalties (etc.?).  It came from the court, the people of Henry Ⅷ.

→ ”あるいは宮廷の道化が書いたもので、彼は斬首された。で、王が著作権など(?)を横取りした。(グリーン・スリーブスは)宮廷、つまりヘンリー8世の周辺の人が作ったものだ。”

 

15:20   p.197下段

”私は客観的に見ていたい。リスナーとしてもね。” 

I can't be objective.  It's for the listeners to actually say.

→ ”私は客観的にはなれないよ。実際に判断するのはリスナーだ。”

 

17:32  p.198下段

”時には、どうしてこうなったんだろうと思うこともある。”

Sometimes I wonder why I bother.

→ ”なんでこんなことを気に病むのかと思うこともある。”

 

23:43 p.200中段

”それに私がプレイするものをチェロ奏者が弾くところを観察するのも興味深いものがあった。2カ月間もね。”

It's quite interesting to see all (these?) cellists playing something that I played within 2 months.

→ ”私が過去2カ月以内に弾いたものをチェロ奏者が弾いているのを見るのは興味深いね。”

チェロ初心者のリッチーがつい最近自分のチェロで作ったフレーズをレコーディングの際にプロのチェリスト達が弾くのを見ての感想。

 

29:53  p.202下段

”向こうから誘いがあったのでそうなった。”

He is like God out there.  So we should be." 

→ ”彼はむこう(アメリカ)では神みたいなものなんだよ。だから(我々がサポートなのは)当然だろ。” 

「炎」の訳は、なぜそうなるのか理解に苦しむ。

 

33:47  p.204上段

”急いでスタジオ入りし、他の奴が何を考えているかなんて考えもしなかったんだ。”

...  jumping into the studio with no idea whatsoever.

→ ”(曲に関する)アイデアはこれっぽっちもないまま、スタジオに飛び込んでたんだ。”

 

35:45  p.205上段

”私はどうプレイしたいかを考え、バックでグレンに『こう弾いてくれないか』と頼まなくてはならなかった。”

I had to ask Glenn to play that on the fact that I would play one of his songs.

→ ”私も彼の曲を弾くのだからと、グレンにそれ(「ソルジャー・オブ・フォーチュン」)を弾いてくれるように頼まなければならなかった。”

on the fact の "on"の意味がよくわからないが、根拠や条件を表す意味かなと推測。

 

37:10  「炎」p.205中段

”私は保守的だから、今の労働法には賛成していない。”

I'm a Conservative.  And I will not work under the Labour rule.

→ ”私は保守党の支持者なんだ。だから労働党の政権下で働く気はない。”

労働党の話が出てきているので、"conservative" は"保守的な人"というよりは"保守党支持"という意味だと思う。

 

45:10  「炎」p.208下段

”(トミー・ボーリンは)あまり体を動かすことに気が回らないようだが”

He is very unkind to his body.

→ ”彼は体を大切にしているとはいえないね” 

ドラッグのこと?

 

47:56  「炎」p.209最後

”それに従って生きていかざるをえないんだよ。”

Now I leave it at that.

→ ”このくらいでやめておくよ。”

 

インタビュアーは地元ラジオの関係者? ほぼファンのスタンスで素人っぽいせいか、リッチーが身構えずに答えている。

「経歴を話してください」との、あまりにもざっくりした要求をリッチーが(たぶん冗談で)断ると、インタビュアーは「...OK...」とあたふた。それをリッチーは気の毒に思ったようで、助け舟を出す様子なんかは、文字では伝わらない部分だ。

このインタビュアーが時々つまらない質問(誰々のことをどう思うか、など)をするのにうんざりするが、リッチーは意外にも辛抱強く答えている。彼の常識人としての一面が見られるインタビューだ。

原風景はがら~んとした原野

よく晴れて風もない。ウォーキング日和なので、久し振りに川下公園へ。

ちょうど1年前にもこの公園の写真を載せた。また同じような写真になった。

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今日は歩いている人が多く、歩くスキーやノルディック・ウォーキングの人とも何人かすれ違った。

 

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綺麗に除雪されていて歩きやすい。

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普通の歩道がこんな風に除雪された部分は凍ってツルッツルになっていることがあり、歩くにも注意が必要。でもここはふかふかの雪が降った後だし、すぐ下に氷の層もなさそうので滑る心配もない。

 

生まれてからずっと雪国に住んでいても、雪景色は見飽きない。本当に綺麗だといつも思う。

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し~んとしていて、がら~んとした、こんな風景が好きだ。

 

私の家の周辺は私が2,3歳の頃から急速に宅地化されたようだが、その頃の写真を見るとシベリアかと思うような所だ。おぼろげながらも、荒涼とした原野の記憶はある。

 

寒々とした景色や空気感が好きなのは、それが私の原風景だからかもしれない。

姫りんご酒ができた

9月に作った姫りんご酒。

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オレンジがかったピンクで、淡いパパラチア・サファイアのような色。味は梅酒に似ている。

 

さかのぼると。。。

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5月に花が咲いて

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9月に実が生った。姫りんご酒を作るのは初めて。

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姫りんご酒 | 焼酎SQUARE

これを参考に、約半量で。

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9月28日

 

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11月17日でこんな感じ。実は取り出し、使えそうになかったので捨てた。レモンはまだ入れておいた。

 

2カ月でできるらしい。最近、できたお酒をキッチンタオルで濾して小さめの容器に移した。レモンはタッパーに。このレモン、酸味が完全に抜けて、意外といける。お酒は炭酸水で割ったりして飲んでいる。

マッシュポテトとアボカドのおいしい組み合わせ

”森のバター”ことアボカド。私はわさび醤油で手巻き寿司風にする他、生春巻きやサンドイッチの具に加えたり食パンに乗せて焼いたりと、頻繁に食べている方だと思うが、味が特にバターっぽいと思ったことはなかった。

 

それが今日、たまたま晩御飯のおかずの一品として出したとき、肉料理に添えたマッシュポテトと一緒に食べてみたら。。。ほぼバターだった。大きいバターの塊を乗せて食べているような感覚(アボカドにはお醤油を付けてます)。でもくどくない。何これ?おいし~い!

 

マッシュポテトとアボカドの柔らかさがちょうど同じくらいだったのが肝だと思う。アボカドとじゃがいもの相性がいいのは知っていた。でもアボカドは潰さず、じゃがいもは潰してというのがポイントかと。食感や硬さの組み合わせがここまで味に影響するとは。。。

 

マッシュポテトは牛乳、塩、こしょうの他にバターも控えめに入れて作っている。でもお醤油を付けたアボカドと一緒に食べるなら、バターはいらないかも。マッシュポテトの3分の1から半分くらいの量のアボカドが適量かな。この食べ方、我が家では定番になりそうです。

真冬日だけど、寒さはそんなに感じない

真冬日は昨日からだったかな。昨日は札幌で最高気温がマイナス7℃だったっけ?でも家から外に出た瞬間も、特に寒いとは感じない。風がないせいかもしれないし、私は長時間外にいるわけでもないからね。でも手袋はしてた方がいい。

 

私はマフラーも基本的にはしないし、頭が暑くなるのが嫌いで帽子も持っていない(コートのフードはたまにかぶる)。だから「関東地方の気温が低かった」などのニュースで東京の人がマフラーをがっちり首に巻いて寒そうにしている姿を見ると「そんなに寒いか?」と思う。母は「風があるから東京の冬は寒いよ~。」と言う。同じ気温なら東京の方が体感気温が低いのだろう。

 

暖かい地方に住んでいる人が恐れるほど、こっちの冬は寒くないよ。札幌程度の気温なら、だけど。

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南向きの庭の木に温度計を下げている。今日の13時頃、部屋の窓越しに撮った。マイナス8℃くらい。

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雪がしんしんと降っている。

ロンドンの自然史博物館  恐竜の骨格標本が撤去される

ロンドンの自然史博物館と言えば、行ったことがなくても中央ホールに恐竜ディプロドクスの骨格標本のレプリカがあることを知っている人は多いだろう。私もその一人だ💦 自然史博物館の顔とも言えるこのレプリカが撤去されることになり、明日(4日)から解体が始まる。解体後は2018年から3年かけて、英国内の8カ所で巡回展示されるらしい。

 

オブザーバー(ガーディアン)の記事

 

1898年にアメリカ、ワイオミングで発掘されたディプロドクスの化石は、スコットランド生まれの実業家カーネギーピッツバーグにある自身の博物館用に入手した。そのスケッチを見たエドワード7世の要望に応え、カーネギーがレプリカを寄贈したのだそう。へぇ~。

 

別の記事によると、これはレプリカである上に、何体かのディプロドクスのパーツの寄せ集めらしい。それならロンドンの自然史博物館がこのレプリカにこだわらないのも、なんとなく理解できる。

 

代わりに展示されるシロナガスクジラの標本、見てみたいな。子供の頃見た図鑑に、シロナガスクジラと他の動物や建物を比べる絵があった。アフリカゾウでも比べものにならない程大きくて、すごいな~と思ったものだ。

 

大英博物館や、自然史博物館の隣のヴィクトリア&アルバートミュージアムには何度か行ってるが、なぜか自然史博物館には行こうと思わなかった。壮麗な建物だし、展示物も私ならこっちの方がずっと楽しめそうなのに。無意識のうちに”子供向け”という気持ちがあったのかもしれない。バカだね、私。まあ、恐竜の骨格標本はなくなっても自然史博物館はずっとあるんだから、今度ロンドンに行ったら絶対に見学してみよう!って、たぶん10年後ね(泣)。 

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