このところの陽気でグングン!
庭の行者にんにく。
父が増やしまくり4か所に。売って商売にでもするのか?ってくらいだ。その中で一番成長が早い場所。昨日と今日の陽気でぐんぐん伸びた。
外側の葉から初収穫。
ゴマ油で炒めて卵とじにした。
「やっぱり若いうちは柔らかいね」と父に言ってもポカ~ン。「行者にんにくだよ」と言うと「ホウレンソウかと思ってた」って、オイっ!ホントに鼻が悪いんだから。味がわからないなら株をあんなに増さなくても。。。
昨日も今日も日中は22~23℃まで上がった札幌。夏みたいだった。でも明日の最高気温は10℃らしい。アップダウンが激しいわ。
ファンという痛い生き物だった頃
先月、NHKの「ねほりんぱほりん」で”羽生結弦で人生変わった人”の話をやっていた。熱烈なファンが考えることは同じ。リッチー・ブラックモア熱という病気だった昔の自分を思い出した。
私は結弦ファンと違い、遠くでのコンサートに遠征する気はなかったし、一日中動画を貪れるような時代でもなかったから、大金や(具体的な)時間をリッチーに費やしたわけではない。でも頭の中からリッチーのことが離れることはなく、常に”心ここにあらず”という状態で、現実の生活から乖離したところで生きていた感じだ。
羽生結弦ファンの話で共感したのは、まず「彼と同時代を生きられた宇宙の采配と羽生選手の存在に感謝」というやつ(笑)。私もそう思ってたわ~。もっと言えば、私にとっての宇宙の始まりは1945年4月14日だった。「リッチーの祖先達の遺伝子がリッチー誕生に集結する準備段階として何十万年もの人類の歴史があったのだ」という痛さ。キリスト誕生以前を紀元前としてマイナスで数えるような感覚だった。ブラックモア暦というかね。書いていて恥ずかしいが、読んでいる人はほとんどいないだろうから、まあいい。
もうひとつ、結弦ファンの言葉に共感したのが「ひとつだけ願いが叶うなら」という問いに対する「過去に戻って赤ちゃんの時代から応援したい」というやつ。アスリートじゃないので”応援”というのは違うけど、現在地球に届く星の光がずっと昔の光なら、数十光年離れた星から望遠鏡で赤ちゃん時代のリッチーから観察したい、と思っていた。なぜかいちいち人類の歴史とか宇宙とか、話が大袈裟になっていた高校時代の私。当時はリッチーのお母さんがうらやましかったなあ。だって、生まれる前のリッチーも知っているんだから。しかし、こんなしょーもないことばっかり考えてるって、どんだけぼんやりした高校生だよ。
あり得ない装置の夢想といえば、”過去を見る望遠鏡”以外にもあった。雑誌のインタビューでリッチー行きつけのパブが使われ、そのお店の名前が記事の中に出ていたことがある。そのパブの場所が知りたくてたまらず(「行きたい」とは思わないのだ。リッチーとの物理的な距離を縮めたいという気持ちは皆無だったし、むしろそんな所へ行って遭遇でもしてしまったら私は崩壊すると思っていた。)どうしても地図上で場所を確認したかった。そんな場所が実在するのか確かめたかったというか。それで、ロングアイランドの住宅地図とまではいかなくても、ある程度大縮尺の地図はないものかと探したことがある。しかし、大縮尺どころか、ニューヨークの地図すら札幌では見つけられなかった。私は”どんな場所でも、道路に立った視点で周りを見渡せる装置”を夢想した。だから、ストリートビューができたときは本当に驚いた。「こ、これは私が何十年も前に熱望した装置ではないか!」と。過去を見る望遠鏡と同じくらい実現不可能だと思っていたのに。30年で世の中はそれ程までに変わるものなのだね。
20代の半ばには、そんな中毒状態とも言える熱狂から覚めたけど、誰かにはまっているときの気持ちは経験者としてよくわかる。羽生結弦ファンの話もいちいち頷けた。でもこういう話って、理解できない人にはドン引きされる危険があるので、相手を選ばずにうっかり話したりできないよね~。
今日はリッチーの74回目の誕生日(ブラックモア暦75年の新年)を祝って、昔のおバカな妄想話をしてみました。
気がつくとバッハを選んでいる
今までより少し手応えのある曲が弾きたくて、全音の「J.S.バッハ=ケンプ ピアノのための10の編曲」を買った。
バッハ=ケンプ ピアノのための10の編曲 (Zenーon piano library)
- 作者: ヴィルヘルム・ケンプフ,ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
- 出版社/メーカー: 全音楽譜出版社
- 発売日: 2003/11/20
- メディア: 楽譜
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目当ては「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(タイトルの日本語訳はいろいろ)。他にも「ラルゴ」「シチリアーノ」「主よ、人の望みの喜びよ」といったキャッチーな(?)小曲が入っていて、お得感あり(笑)。
「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」はタルコフスキーの映画「惑星ソラリス」で使われていることでよく知られているらしい。映画は観ていないが、レムの原作は読んだことがある。絶妙に不安定な旋律(と私には思える)が、不安をかきたてるあの小説に合う。
気がつくと、いまクラシックの曲で弾くのはほとんどがバッハになっている。昔ピアノを習っていた頃、バッハは退屈なだけだった。嫌々なのが態度にも表れていたようで、先生に「バッハはみんな嫌いなのよ!(だから我慢して練習しなさい)」と言われたのを覚えている。先生~、そりゃないでしょ~(笑)。
ただ当時から、ピアノで習う曲(「インベンションとシンフォニア」とか「フランス組曲」)以外では好きな曲があったし、クラシックを聴くとしたらバッハだったんだよなあ。鍵盤楽器用ではない曲をピアノ用に編曲した楽譜も簡単に入手できるようになったのが、今バッハを弾く気になった要因だと思う。
ピアノを再開しなかったら、一生「バッハをピアノで弾くのは嫌い」と思い込んでいただろう。好きなものの範囲がほんの少しだけど広がったのが、なんか嬉しい。
今年はふきのとうも早い、と思ったら。。。
今年は雪が少なかったから雪解けも早い。今日、車庫の裏(いつもの場所)にふきのとうが芽を出しているのを見つけた。
「やっぱり今年はふきのとうも早い」と思ったけど、一応自分の過去の記事を調べてみたら3年前は3月27日に見つけてた。 早いと思ったのは気のせいだったようで。
一昨年は4月6日。去年は3月30日(今日と同じ!)。しかも、去年の写真を見たら今年より雪が少ないし。。。雪解けが早いと思ったのも勘違いか?ここ数日雪だったせいかな。↓は去年の3月30日。
洗って
天ぷらに。ふきのとうは天ぷら以外で食べたことがないような気がする。
いつも同じような写真ばっかりだな。
衣替えを急ぎ過ぎたかも
一週間程前、ブーツを履いて出掛けた。周りを見ると、そんな冬の恰好の人は一人もいなかった。暖かい日が続くとみんなあっという間に春の装いになる。我が家の陰になった歩道の雪がまだ解けないので、滑って転ばないようにギリギリまでブーツを履いていたんだけど。数日前には札幌の積雪もゼロになり、さすがにもういいかと3日前に衣替えをした。衣替えといっても、セーターなどの洗濯をしてからクローゼットの手前と奥を秋冬物と春夏物で入れ替えるだけ。ただ靴だけはしっかり箱に入れてしまう。ブーツもしまった。そしたら急に寒くなって、少し雪が積もった。
クラークス(Clarks)のオイルドレザーのブーツはこの冬で12年目。まだ数年は履けそう。
頑丈な厚い皮で脚ががっちり守られて暖かいし、デザインも気に入っている。これがダメになってもまた同じようなブーツが欲しい。ただ、ちょっと重いのが難点。量ってみたら、片足730g だった。春の靴に履き替えると足がものすごく軽く感じて、それが春を実感する瞬間でもある。
普段はかなり雑に扱っているこのブーツも、箱にしまうときは自分なりに丁寧に手入れをする。まず水で濡らしたガーゼを固く絞り汚れを落とす。靴底も。一日おいて乾いたら、スクワランオイルを塗る。顔に使っているオイルだから私としては奮発しているつもり。靴には良いのか悪いのかわからない(まあ悪くはないだろう)し、たぶん必要ないんだろうけど、ひと冬分の感謝の気持ちとして(笑)。それから Danner の Boot Dressing というのを塗る(これは普段も時々使う)。更に2,3日完全に乾かしてから箱にしまう。この作業を繰り返すのは面倒だから、一度しまったら次の冬まで出さない。
冬用の長靴もしまってしまったので、近所のスーパーに行くのに母のブーツを借りた。ちゃんと天気予報を見てから衣替えするんだった。
屋根からの雪が落ちる所にはまだ雪山が。
クロテッド・クリームという夢のようにおいしい食べ物
二カ月に一度、富澤商店でダージリン(2袋)を買うときは、駐車場料金が2時間無料の2000円になるように300円程度の物をプラスする。
岩塩が間に合っていればクロテッド・クリームを買うのが最近のお決まりになっている。富澤商店では今のところ税込みで397円。値段が手頃で、量も100gと多過ぎず少な過ぎず。
スコーンを作るのが面倒でパンケーキに乗せてみたりもしたけど、クロテッド・クリームは生地がどっしりした存在感のあるスコーンにこそ合うと、今さらながら再認識。この間試したこのレシピ↓は今まで作った中で抜群においしかった。強力粉を混ぜると違うな~。
雑さが命☆基本の本格スコーン! by ち~sun 【クックパッド】 簡単おいしいみんなのレシピが306万品
型で抜かないで三角に切ったのは初めて。手軽なだけでなく、生地に無駄が出ない。
クリームの量をちょっとケチってます(笑)。本当はもっとどっさり、ね。このクロテッド・クリームはかなり緩め。さらにスコーンがまだ温かいので溶けかかってますが。ジャムは今回ブラック・チェリーで。
クロテッド・クリームを初めて食べたのは1984年。大学の春休みをギチギチに使って50日間のヨーロッパ一人旅に出たときのこと。といっても、旅の途中ではなく、ロンドン行きの英国航空の機内食だ。一見バターのような容器に入っているのに色は白っぽく、たしかクラッカーに添えられていたように思う。特に何も考えずにクラッカーに塗って一口食べてみたところ。。。
「何これ~~っ!? おいし~~い!」
容器には”デボンシャー・クリーム”と書いてあった。今では日本でもお馴染みのこの食品。当時の私は見たことも聞いたこともなかった。「デボンシャーのクリームってこんなに濃厚でおいしいのか!」それ以来、クロテッド・クリームは私の好きな食べ物ベスト5に入る大好物なのだ。
デボンシャーを含むイギリス南西部にはティー・ルームがやたらと多いという印象がある。しかも、どのお店も”クリーム・ティー”という看板を出している(クリーム・ティーの看板はなくてもメニューには必ずある)。あの辺りの名物なんだよね。アフタヌーン・ティーが紅茶自体を指すのではないのと同様、クリーム・ティーというのもスコーンと紅茶のセットのことで、スコーンには必ずたっぷりのクロテッド・クリームとジャムが添えられている。
クロテッド・クリームはたぶん好き嫌いが分かれる食べ物。牛乳や生クリームが好きでこれを未体験な人は是非スコーンにたっぷり乗せて試してみてね。