An Education ~ 1961年 ロンドンの16歳


17歳の肖像

 

1961年のロンドンが舞台で、16才の少女が主人公。1961年の時点で16才ならリッチー・ブラックモアと同じではないか!というわけで、「当時のロンドンの16才ってどんな感じだったんだろう。その頃の風俗が映画に反映されてるかな?」と、そこだけの興味で数年前に観た映画だ。記憶がおぼろげなので、YouTube で観なおした。

 

主人公のジェニーの家があるのはトウィッケナム。リッチーが住んでいたハウンズロウの隣だ!これだけで「おおっ!」となる。もちろんロケまでトウィッケナムでしたわけではなさそうなので、なんの参考にもならないけど、その近辺の設定というだけで嬉しい。女の子の話だから、当時の男の子がどんな生活をしていたかという情報はほとんど得られない。あえて探せば、ボーイフレンドのグラハムをティー(軽い食事)に招待したエピソードくらい。よそ行きのきちんとした服装で来たグラハムは、ジェニーの父親から高校卒業後の進路について尋問される。今のイギリスだったら結婚相手でもここまで問い詰めないんじゃない?当時の(若干ロウアー寄りの?)ミドルクラスの生活の様子が垣間見られる。リッチーの家もこんな感じだったのかな~と思いながら見た。

 

期待してなかったせいか、映画自体も意外と楽しめた。

弁が立ち、パリに憧れるジェニーは成績優秀で、オックスフォード大学進学を目指している。ある日ひょんなことから高級車に乗った大人の男性、デイヴィッドと知り合い、やがて付き合い始める。華やかな世界に足を踏み入れ、刺激的な体験の連続に興奮状態のジェニーは、デイヴィッドの職業が堅気ではないことにも目をつぶる。プロポーズを受け入れ学校も中退した後で、デイヴィッドが既婚者であることが明らかになる。

ジェニーの両親はデイヴィッドの怪しげな職業のことを知らないとはいえ、交際に反対するどころか、デイヴィッドの魅力と経済力に浮足立ってしまうところがなぜか現実味がある。両親共、こんな嘘をつく男が存在するとは想像もできない堅実な世界で生きてきた人間だからかもしれない。道化的な役回りでスパイスになっているのが、”小物”感あふれるジェニーの父親だ。締り屋で天然ボケ気味のこの人と結婚した知的な雰囲気の母親が初めは気の毒に思えたのだけど、二人で食器を洗っている時、彼の冗談にくすっと笑ったりする場面などで、彼女も幸せなんだなと思わせる。傍目には地味で退屈そうに見える人生でも、それぞれに喜びや豊かさがある。そこが描かれているので、派手な生活に慣れたジェニーが堅実な人生を選び直し、地味な学生生活も新鮮な気持ちで楽しめるようになったのも自然な流れだと納得できる。

 

私は普通の恋愛映画には全く感情移入できない人間なんだけど、不思議とこの映画(恋愛映画とは言えないかもしれない)では、将来への分岐点となる場面場面で「私だったらどうしただろう」とジェニーの立場に。。。う~ん、学校を中退しないまでも、彼女と似たような選択をしたかもしれないな。後で振り返って「あの時こうしていれば。。。」というのはよくあるけど、誰だってその時点では最良と思える選択をしているんだよね。

 

ジャーナリスト、リン・バーバーの回顧録を元にロネ・シェルフィグ監督で映画化された。脚本はアバウト・ア・ボーイニック・ホーンビィ。ちなみにこの映画の邦題は「17歳の肖像」。もうなんでわざわざ、こんなアホみたいな空っぽな題を付けるかな。このタイトルを見ただけでスルーする人がたくさんいるだろうに。いつものことながら、なんのための邦題なのかと思う。

 

どうでもいいことを最後にひとつ。前回観たときも今回も、一時停止して凝視せずにはいられなかったのが、スタッブズ先生の家の台所だ。当時は本当にこんな台所があったのか?とても水回りとは思えない、まるでおままごとのような、実用性皆無の可愛い台所。普通の部屋にポンと小さな流し台と調理台(コンロ)を家具のように置いただけ。調理スペースの壁には絵まで掛けてあって、料理なんてできそうにない。しないのか、やっぱり(笑)。